天にある高天原の神々から国生みを命じられた伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)は、天浮橋に立って矛で海水を「こうろこうろ」とかき混ぜました。このとき矛の先からしたたり落ちた滴が固まってできたのがおのころ島です。諸説ありますが、おのころ島は沼島だといわれています。
淡路には柴右衛門狸など、たくさんの狸にまつわる話が多いが沼島にはない。沼島で化けたとか、化かされたといえばマメダのしわざである。
子ども心に、夜の使いをしぶったのも、このマメダのこわい話が辻々にあり、それにおびえたためでもあった。
沼島では、正月や五月の祭りには芝居がつきもの、その日は朝から晩まで芝居をするのが常であった。すると、その夜は必ずマメダが役者のまねをする。じょうるりを語り、拍子木を打つという。その音が、はっきりと島中に聞こえたとか。
また、四つ辻を通って夜など帰っていると、何もしないのに投げ飛ばされるとか。
マメダの「呼び出し」は「○○さん」と、必ず、ひと声だけで、むかしから「一声の呼び出しには決してでるものではない」と言われ、一声で出て、ひどい目にあったという話はよくある。
現在、沼島に総合センターが建っているが、そこにはむかし徳島の殿さんの「御殿」があった。中庭には大きないちょうの木が立っている。そこに、「ごてんのマメダ」と呼ばれる狸が住んでいた。このマメダがある時、帰ってきた人に出会ってしまった。驚いたマメダは座敷へ上がり裏口から飛び出し、筋向いの家に飛び込んだ。しかし、そこにも人がいたので、障子を破って逃げた。ところが、その夜、寝ていると床下で、トスン、トスンと唐うすを踏む音が聞こえてきた。眠れないので、「コラッ」としかったり、床をトントンたたくと、しばらくは静かになる。眠りかけると、また、「トスン、トスン」とやりだすのだ。自分勝手にびっくりして、しかえしをするとはけしからん奴じゃと、腹立たしく思いながら、とうとう一睡もできずに朝を迎えたという。
「朝から糸を垂れとんのに、なかなか魚が釣れんもんじゃ。こんじゃ家へいんだら、かかあがやかましいにどなるやろな」三郎太夫は、漁が少ないんでよわってしもうとった。「釣られんもんを釣れというても、そりゃ無理というもんや。しゃあないこっちゃ」開き直った気で三郎太夫は糸を垂れとった。が、やっぱり漁のないもんはつらいことだ。ようけ釣って銭もうけをしよる人もあるというのに。
「もし、そこなおんし、もしおんし」何やら呼ぶ声が聞こえるんで、ひょいと三郎太夫が振り向いた。「うわあ、怪物じゃあ!」大声をあげた三郎太夫は、すっでのことで海にはまりそうになったので、必死になって船ばたにしがみついた。三郎太夫が驚くのも道理。見たこともない怪物が太短い二つの後ろ足で、ぬうと立ちはだかっていた。身の丈は三郎太夫よりだいぶ高かった。足のわりにはとても長い手をぶらぶらさせている。怪物の落ち込んだ二つの大きい目をじっと見ていた三郎太夫は、「あっ、こりゃ、古いじいさんから聞いとったしょうじょうに違いない。そや、しょうじょうや、しょうじょうや」三郎太夫は、見たこともなかったまぼろしのしょうじょうに目を見はっていた。三郎太夫は、だんだん落ち着いてきた。「お、お、お、おまや、い、い、いったいなんじゃ」三郎太夫はふるえながら、指さしもってきばっていうた。「すまんこっちゃが、酒をめぐんでくだされや。うめえ酒をひょうたんに入れてくれ」
「な、な、何をいう。おらあの方が飲みたいんじゃ。ほれが漁がでけへんやろ。ほんでおらあのかかあがどなりちらして、一しずくの酒も飲ましやがれへんのや」「そりゃわかっとんのや。どないぞ、いんで酒を持ってきてくれ。頼むさかいにな」「あかん、あかんいうたらあかんのじゃ」「銭をなんぼでも出すよってに、頼む」あんまりひつこくいうんで、三郎太夫は根負けがしてしまい、船で酒を取りにもどった。五升、持ってこいというても、ひょうたんに入らんので酒樽のまま酒を持っていった。
ほしたらひつこいもんじゃ、大岩の上で待っとった。三郎太夫はおとろしいんで「ほら、持ってたぞ。飲みやがれ。ほんまにこちとらのの気も知らんとよう」大岩の上に桶の酒を差し出した。「うめー。うめえ。この酒の味、なんともいえんのじゃ。うめえや。ひゃあ、うめえ」舌鼓を打ちながら、ピチャピチャ飲んでいるしょうじょうだ。三郎太夫はつい「おっとっとっと」長い舌を出し、口のまわりをなめまわしながら、口をあげたり下げたりしとった。「おんしもいっぱい、やれえや」のどから手が出そうなほど、欲しかった酒や、三郎太夫、ゴクリ、ゴクリ、のどを鳴らしもって、しょうばんをした。根がすきな酒や、酒が腹わたにしみとるがな。「うう、うめえ。こちも長生きできる」桶の酒をまたたく間にあけてしもうた。
「ほんじゃ、またな。おおきに」しょうじょうは、そのまま海に入ってしまおうとした。「おいこら、ちょっと待て。銭を払うというたやないか。酒代を払え、やい」それは大きな声でさいそくした。ただでさえかかあにどなられ、ぼろくそに言われとんのに、まだこの上酒代を踏み倒されては立つ瀬がないわいと、三郎太夫はしまいに半泣きになっていうてこました。「ウエーッ、ヒュヒュ、そ、そや、銭払うのん忘れよったわい。アハハハハハ」しょうじょうはすっかり酔うて、ええ機嫌になってしもとった。「おまや、酔うても、おらあ酔えるかい。銭こもらわにゃ、いんでみい、えらいこっちゃ」「おお、銭こは、エビスさんの神棚見てみい、置いてあるぞな。いんで早よ見てみい」そのまま、しょうじょうは海へいんでしもうた。
三郎太夫は、力いっぱい船こいでいんでエビス棚見たら、銭こが百銭置いてあった。「ほんまじゃ、あったわいな」ほれがまた、みょうなことに、使うても使うても、ちょっともへらへんのや。ほれからだれがいい出したもんか、しょうじょうが上がって酒を飲んだ岩を「しょうじょうばえ」と呼ぶようになったそうや。
それはそれは、きれえな娘さんが、おいどりかんどり、八兵衛さんのげえのかた舟に乗ろうと寄ってきた。「のんしの舟の水を飲ましてほしいんで、ひしゃくをおかしくだされ」
「おお、いやあほん、それはしょしな」あみの手入れをしていた八兵衛さんは、立ち上がってきた。水を入れたにない(水桶)の所まで来たが、ふと足をとめた。
このごろ、古水の浦のすばくらもんの赤猫が、娘に化けて船に寄ってきて、水が飲みたいいうてひしゃくをかり、それで舟に水をいっぱい入れて沈めてしまうということや。ああ、すっでのことで、にちょこやった。
舟の下へ入ってひしゃくを取った八兵衛さんは、すぐおぼちょ(ナタの一種)でぴしゃり、底を抜いてしまった。「ほんまに何しとんのや。こちゃ、やむどの水を飲みたいんじゃ。おい、おいどりがんどりやぞ」娘やゆうても赤猫やもんで、かちまわされたらよわるから、八兵衛さんはひしゃくを渡すと、さっと舟をおり逃げた。
ひしゃくを受けとった娘の赤猫は、はっさい娘のようにさっと舟に飛び乗った。すぐ海の水をいっぱい舟に入れようと、ひしゃくでくみ続けた。ところが底抜けのひしゃくやったもんで、怒った怒らないのなんのって。「ええ、せくさい、せくさい。せっかくひしゃくをもらうことができたでえのに、底抜けとは、ええ、くちおしい、くちおしい」じだんだふんでくやしがった。それまで美しい娘であった赤猫のおちょぼ口が、だんだん大きく切れ上がっていく。「おめえらに、ちょぶられてかなうかい。ちょさいもんされてたまるかい。おのれ今に見ておれ」とうとう口が耳までさけ「ギャオー、ギャオー」と真っ赤な口をあけてわめきたてた。おとろしいのなんのって、八兵衛さんは、ヨシの茂った中にすっこんで息をころしていた。底抜けのひしゃくでは、どうもしゃあないを思ったのであろう、赤猫はあきらめていんでしもうたということだ。
沼島の人は、舟に底の抜けたひしゃくを持っていて、海の難所を通るとき、そのひしゃくを海に投げ入れる。これが難にあわないまじないだという。
★方言の意味
おいどりかんどり・・・急いで、急ぐこと
げえ・・・家
のんし・・・あなた
いやあほん・・・そうですか
しょしな・・・気の毒な
すばくらもん・・・ずるい
すっでのこと・・・もうすこしで
にちょこやった・・・調子にのるところだった
こちゃ・・・自分
やむど・・・たくさん
かちまわされたら・・・なぐりまわされたら
はっさい娘・・・おてんば娘
せくさい・・・なまいきだ
ちょぶられて・・・なめられて
ちょさいもんされて・・・もてあそばれて
「ほぼら」いうたら幽霊の火の玉のこっちゃ。沼島の古水の浦の浜辺は砂浜があよの。そこで泳いだり運動会もでけるくらいの広いがの。ほりゃ沼島は、こんなこまこい(小さな)島でぐるりや海やさかい、皆泳げる思うがの、ほりゃあ「はいご(泳げない人)」もおるんじゃ。古水の浦に赤猫がおって、そこに平べったい大きな岩があって、なんでかそれを赤猫の黒板ちいいよったんや。学校にも豆狸がおって人化かしよった。
ある夜さのことや。釣りに行く人が大日っつあんの上の長尾のあぜ道を通り山の神さんの近くの「クラガリ峠」へ来た時、そこらうっそうとしてよの、一抱えもある松並木が続いとるとこじゃ。松の木のてっぺんからよの「通玄さんよ、つうげんさんよ、通玄さん」とええ声で呼ぶんじゃ。ひょいと見上げたらの、島では見られん綺麗な娘さんや。おおかた声をかけそうになった漁師はよの、ははあん、これが皆の言いよる狸かの、その後は「ほぼら」も飛ぶいうこっちゃ。ほぼらも三昧(さんま:埋め墓)から出るとか、雨降りの夜さに出るいうがよの。今夜みてぇに日和にの、こりゃうかつに声出されへんわい。ほれでやおら腰から煙草入れを取りだしてよの、火ぃをつけて一服、すうと吸い込んだんや。ほたぁ大分落ち着いてきよったん。「やいあやい、この通玄に何用あるんじゃい。」と大声で呼ぼり、キセルの雁首パシッと叩き付けたら、その綺麗な娘さんの姿ぁのうなってしもたんよの。ほたら、その後でよう出よったほぼらも出んかったいわよの。
むかし思えば イガドノ時代 かまど三十三軒のとき お寺屋敷に お城を建てて
人をあやめし そのむくいかや 殿の飛びから 馬ごし飛んだ
むかしむかしになー、この城山にイガドノという海賊がおったんじょ。イガドノはソロバン占いが上手でのう、夜になっても城山の上から沖を見とって、大きな船が島の前を通りかかると、ソロバン占いを立てて呪文をとなえる。
ほしたらなー、沖の大船が、イガドノの手下の振るのろし火や灯りに吸い寄せられるように近づくと、赤倍の磯にのしあげて難破するんじゃ。
それをまたなー、助けるように見せかけて、手下の者が船をおそい、財宝をうばい、人を殺し、その宝物は浦山の大けな穴の中へ隠しといたちゅうわいの。
その穴はなー、泊りの観音さんの裏から「殿の飛び」の磯まで続いておってのー、その穴の入り口に大けなグチナが見張り番しとったちゅう。
イガドノ・・・沼島城主梶原一族のこと。気性が荒くとげとげしいので栗のイガに例えた。
殿の飛びから馬ごし飛んだ・・・戦国時代、沼島城主「梶原秀景」は長宗我部氏(又は豊臣秀吉)に攻められ、山に逃げ沼島裏の磯「殿の飛び」から馬の背中に乗って海に飛び降りた
ソロバン占い・・・首にかけた数珠を数えながら呪文を唱える山伏の古い信仰
網を繕っていた市左衛門が、ふと頭を上げると「網たてバエ」の上にキラリと光るものが見えた。何だろうと思いながらそばへ行くと、一尺五寸くらいの阿弥陀さんであった。「こりゃあ、こんなとこで勿体ない」と背中に負うとしたがでんで動かない。「あ、こりゃすまんことを、汚れた体で直かに背負おとしたさかいじゃな。」と気づいた市左衛門が、カヤを切ってきて背中を被い「さあさ、どうぞ」と背を向けると飛び乗ってきた。わが丁の蓮光寺に納めようとエッコラ「おかん坂」を登り蓮光寺で降ろそうとしたが、何としても動かない。「こりゃあ、ここがお気にいらんらしい」と神宮寺へ行ったが同じこと。南まで背負って西光寺へ着いたとたん、すっと降りた。「ああ、ここがお気に入りか」と阿弥陀さんを西光寺で祀ることにしたという。市左衛門のことを「いっちょも」と呼ぶ。
都に元弘(げんこう)の戦乱が起こったころ、西風がビュウビュウと強く吹き付ける。ある日の朝、沼島のお水の浦(みずのうら)に一そうの伝馬船が漂着しました。
島の漁師が見つけて、船の中を見ると、気を失ったお姫さまと、一人の少年が乗っていました。お姫さまは、十二単衣(ひとえ)の着物を着た、それはそれは美しいお姫さまでした。
漁師は、さっそくお姫さまに水をふくませて気付け薬とし、ご身体を清めるなど、かいほうして家につれもどって休養させました。お姫さまはだんだん元気になられました。そして、お元気になられると、大川の方角、王寺を仮の住まいとして滞在されることになりました。
このお姫さまは、後醍醐(ごだいご)天皇の第一皇子、一ノ宮尊良親王(たかながしんのう)のお妃で、ミヤスドコロといわれていたお方でした。
お姫さまは、尊良親王が土佐の畑村に流されましたので、その後をおって四国へ渡ろうと思い、家来の秦の武文(はたのたけふみ)をお供に、摂津の大物の浦(だいもつのうら:現在の尼崎市)に来られました。ちょうど九州への便船として、松浦五郎の持ち船があったので、これに乗ってまず鳴門に渡ろうとされました。ところが、松浦五郎は海賊でした。お供の秦の武文に酒をすすめて酔いつぶし、そのすきにミヤスドコロを船に乗せて出帆してしまいました。
秦の武文が気づいたときは後のまつり、大いに怒って後を追おうしましたが、空は暗く船はなくついに主人を見失って、じだんだふんだがどうすることもできません。武文は恨みをのんで自決して果てました。
さて、ミヤスドコロを乗せた海賊船が、鳴門の瀬戸に近づくと、にわかに大渦が巻き起こり、船は木の葉のようにもまれて、今にも渦に巻き込まれそうになりました。そして大渦の彼方に、秦の武文の亡霊があらわれました。海賊の棟梁、松浦五郎はびっくりぎょうてん、船に乗り合わせていた山伏に祈祷させると、「ミヤスドコロを放さぬと、この船は助からない。」という。そこで、しかたなくミヤスドコロを伝馬船に移し、炊ぎ(かしぎ)の少年をつけて海に流しました。この伝馬船が荒海を流れ流れて、沼島のお水の浦に流れついたわけです。
それから二年の年月が流れて、都の大乱もおさまり、ミヤスドコロは都へお帰りになることになりました。だが、不思議なことに、海は毎日のように荒れて船を出すことができません。祈祷師に祈祷してもらうと、「沼島の竜神がミヤスドコロとの別れを惜しみ、そのために海が荒れるのだ。」といいました。そこでミヤスドコロは、懐紙に醜い人の顔を書き「わたしはこのように醜い女です。」といって海に流しました。すると、不思議にもその紙は一匹の魚となって、海の中へ消えてしまいました。やがて、海はおだやかになりミヤスドコロは無事京へお帰りになることができました。
この魚がムシマオコゼ、別名、沼島女郎、またはカンガリになったようです。ミヤスドコロといっしょに漂着した少年は、後に京へ上り橋本修理(しゅり)の名を賜り、子孫は今も沼島にあるといわれています。
そのむかし、二頃と土生の中ほどから、沼島に向かって半島がありました。そこには、白石村外五か村があったが、約五百年前に海に沈んでしまったと、「味地草」に記されているのです。
その白石村に名家があり、紫村武左衛門という大変情け深い方が、田畑も広く耕作して豊かに暮らしていた。
ある夜、枕もとに白髪の老人が現れて、「わたしは、この山に住みついてきた古狐でございます。聞くところによると、明日はこの淡路の国主がたくさんの家来をつれて狩りをするそうです。ところでわたしには二匹の子狐がおりますが、身を隠す良い場所とてございませんので心配で心配でたまりません。常日頃、あなたが心やさしい、情け深いお方でいらっしゃることをよく承知しております。このたびは、どうしてもあなたのお情けにおすがりして、明日一日中、子狐とともに匿っていただきたくお願いします。」
白髪の老人はそう言って、ていねいに頭を下げて、夢の中に消えたのです。武左衛門さんは、半信半疑のまま、あくる朝、起きぬけに戸外に出てみると、果せるかな、昨夜の古狐が二匹の子狐を連れて、裏の隠居所の前で隠れるように寄り添ってしゃがんでいる。そこで武左衛門さんは、あわれに思って犬などにかぎつかれないように気を配りながら、一日中食べ物を用意して隠居所の奥深いところへ匿ってやりました。
それからいく日かたったある日、武左衛門さんが、鍬をかついで山に行き、枝ぶりのよい松を掘り起こして庭に移し植えようと思って、一本の松の木を掘り始めたところ、どうしたことか、松の根元にうずくまっていた一匹のへびの首を切り落としてしまった。びっくりした武左衛門さんは、一生懸命そのあたりを捜し回ったが、どうしてもへびの首を見つけることができません。心にかかりながらも武左衛門さんは、仕方なく掘り起こした松の木をかついで家に帰り、それを庭に植えました。
その晩、また枕もとに一人の老人が現れて、「わたしは、この前、あなたのお情けによって助けられた子狐をもつ古狐です。あなたのご恩にお報いするために、今こうして参った者でございます。あなたは今日、山に行って、へびの首を誤って切り離してしまわれたのでしょう。そのへびがあなたを大変うらんで、あなたの家に入り込み、水がめの中に潜んでいます。あなたは明日起きて水がめの水を汲んではなりませんぞ。また、あなたの持っている田畑は日照りで作物はみんな枯れてしまうかもわかりません。もしその時は、わたしが山の中に印をつけておきますから、そこを掘ってごらんなさい。必ず水が湧きますから。もしあなたが疑うならば、水がめの中をごらんなさい。」
そう言って夢の中に消えていきました。
武左衛門さんが、夢から覚めて起きだして、水がめの中をのぞいてみると、本当にへびの首がありました。
夏が来て、日照りが続くので、古狐のいったとおりに山の中を掘ってみると、水がどんどん湧いて出て、田畑の作物は豊作が続き、子子孫孫栄えたということです。そこで自分の屋敷の中に、お稲荷さんを迎えて、大切にお祀りしたといいます。
ピッチャリ・・・水溜まり
バッタリ・・・家に取り付けたベンチ
ショシナ・・・気の毒な
クチバシ・・・口達者
セクサイ・・・生意気な
ハイゴ・・・泳ぎのできぬこと
エド・・・えさ
チョブル・・・からかう
チョブラレテ・・・なめられて
チョサイモンサレテ・・・弄ばれて
ノブトイ・・・度胸のよい
ガイナン・・・図太い、でっかい
ヤムド・・・たくさんな
スバクロモン・・・ずるい
カンガリ・・・魚の名、沼島女郎
イヤーホン・・・そうですか
ガリキ・・・剛気
ネ・・・姉
ニーヤン・・・兄さん
タタ・・・母
オシマエ・・・こんばんわ
レンジ・・・障子
ハコゼ・・・母親
ゲエ・・・家
カメノコ・・・船を上げる坂、亀の甲
ビビロ・・・少々
カタフネ・・・友人の船、もやい船
ノンシ・・・あなた
コチ、コチャ・・・自分
アッパラ顔・・・おどけた時の顔
ヘンマイ・・・余計なこと
チョンマイ、コマコイ・・・小さい
チャワンカリ・・・少年、使い走りする人
カタシイ・・・ええかっこしい
バアバン・・・おばさん
ニチョコ・・・調子乗り
オイドイカンドリ・・・急ぐこと
ホタラカス・・・放っておく
オトロシャ、オトッシャア・・・怖い
ジャジャイヤクナ・・・ゴタゴタ言うな
ドンビキ・・・かえる
グチナ・・・へび
ドンビコ・・・スズメの子
ターラゴ・・・ナマコ
フクレル・・・すねる
チョッカイ・・・じゃまする、いたずら
ハッサイ・・・お転婆
ジュンサイ・・・うそつき
オトンナゲエ・・・おうげさ
沼島観光案内所は2022年3月31日をもって閉鎖となり、すべての業務は終了しました。
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