沼島観光案内所

おのころ島伝承

沼島の遠景02 自凝島(おのころじま)は、淡路島の海人族や民衆が伝承していた想像上の島です。この神話が広まり、朝廷に聞こえると、淡路島の周辺のどこかの島が、自凝島として神話に物語られたものと思われます。後世、自凝島といわれる島や場所が伝えられ、淡路島に関しては、沼島、成ヶ島、絵島、先山(せんざん)、自凝島神社、成山などの説があります。これらの場所は、古代の海人族が信仰の対象としていたところです。

沼島説では、沼島の「沼」は、「古事記」天の沼矛(あめのぬぼこ)の「沼」であり、「日本書紀」天之瓊矛「瓊(ぬ)」です。これらは、玉・魂・霊に通じ、勾玉(まがたま)に代表される形状は、生命体や霊魂を表し、沼島は玉島ということになります。

にこちゃん塾 財団法人 淡路21世紀協会 発行 「国生み神話 日本のはじめと淡路島」より引用

古事記

おのころ神社の写真01是(ここ)に天(あま)つ神諸(もろもろ)の命(みこと)以(も)ちて、伊耶那岐命(いざなきのみこと)・伊耶那美命(いざなみのみこと)二柱(ふたはしら)の神に、「是(こ)のただよへる国を修理(つく)り固め成せ」と詔(の)りて、天(あま)の沼矛(ぬぼこ)を賜ひき。故(かれ)、二柱の神、天(あま)の浮橋(うきはし)に立たして、其(そ)の沼矛を指(お)し下ろして画(か)きたまへば、塩こをろこをろに画き鳴(な)して、引き上げたまふ時、其の矛の末(さき)より垂(したた)り落つる塩累(かさ)なり積(つも)りて島と成りき。是れ淤能碁呂島(おのごろしま)なり。
其の島に天降(あまも)り坐(ま)して、天の御柱(みばしら)を見立てて、八尋殿(やひろどの)を見立てたまひき。是に其の妹(いも)伊耶那美命に問ひて曰(の)りたまはく、「汝(な)が身は如何(いかに)か成れる」とのりたまへば、答白(こた)へたまはく、「吾(あ)が身は成り成りて成り合はざる処(ところ)一処(ひとところ)在り」とこたへたまひき。爾(ここ)に伊耶那岐命詔りたまはく、「我(あ)が身は成り成りて成り余れる処一処在り。故、此(こ)の吾(あ)が身の成り余れる処を以ちて、汝(な)が身の成り合はざる処に刺し塞(ふた)ぎて、国土(くに)を生み成さむと以為(おも)ふ。生むこと奈何(いかに)」とのりたまへば、伊耶那美命、「然善(しかよ)けむ」と答曰(こた)へたまひき。爾に伊耶那岐命詔りたまはく、「然(しか)らば吾(あ)と汝(な)と是の天の御柱を行き廻(めぐ)り逢(あ)ひて、みとのまぐはひ為(せ)む」とのりたまひき。如此(かく)期(ちぎ)りて、乃(すなは)ち「汝(な)は右(みぎり)より廻り逢へ。我(あ)は左より廻り逢はむ」と詔りたまひ、約(ちぎ)り竟(を)へて廻る時、伊耶那美命、先に「あなにやしえをとこを」と言ひ、後(のち)に伊耶那岐命、「あなにやしえをとめを」と言ひ、各(おのもおのも)言ひ竟へし後、其の妹に告げて曰りたまはく、「女人(をみな)の先に言へるは良からず」とのりたまひき。然れどもくみどに興(おこ)して、子の水蛭子(ひるこ)を生む。此の子は葦船(あしぶね)に入れて流し去(う)てき。次に淡島(あわしま)を生む。是(こ)も亦(また)子の例(かず)に入れざりき。

現代語訳

観光案内所のスタッフが超超意訳します。専門的な知識をお持ちの方は少々の間違いをお見逃しください。

 天上界の神さまたちが、二人の神さま、いざなぎ(男性)といざなみ(女性)に「海を固めて国をつくりなさい。」と言いました。神さまたちは国造りの道具として天の沼矛(あめのぬぼこ)という矛を、いざなぎといざなみに与えました。いざなぎといざなみは天の浮橋(あめのうきはし)というところから、その矛を下ろし、海を「コヲロ、コヲロ」とかき混ぜました。矛を引き上げると、その矛先からしずくが垂れ、そのしずくは、やがて島となりました。この島を「おのころ島」といいます。

 おのころ島に降り立った、いざなぎといざなみは、天の御柱(あめのみはしら)と八尋殿(やひろどの)を作りました。いざなぎは「どうしたらいい?」といざなみに尋ねました。いざなみが「私には、なりなりしたところがあるわ。」と答えると、いざなぎは「僕には、なりなり出たところがあるよ。」「そうか。僕のなりなりで、いざなみの、なりなりを刺してふたをして国を造るんだ。」と言いました。いざなみは「そうよ。」と答えました。いざなぎは「いざなみは天の御柱の左から来て。僕は右から行くから。」と言いました。天の御柱を回るとき、いざなみは「あなにやしえをとこを」と唱え、続いて、いざなぎが「あなにやしえをとめを」と唱えました。すると水蛭子(ひるこ)という名の神さまが生まれました。いざなぎといざなぎは、ヨシでできた船に水蛭子を乗せ、海に流しました。次に淡路島を生みましたが、水蛭子と同様に数には入れません。


解説

 観光案内所のスタッフによる解説。様々な見解があります。専門的な知識をお持ちの方は少々の間違いをお見逃しください。
 はじめに、沼島では縄文式土器が出土していることから、古くから、人が暮らしていたことが分かります。また、日本にはインドネシア方面からアマ族(海人族)と呼ばれる海の民が渡ってきたとされています。研究者によって時期に多少のばらつきはあるようですが、縄文から弥生時代にかけての話とされています。沼島の住民の起源を考えると、可能性として、4つあります。
アマ族と出会わなかった可能性、アマ族と出会ったが影響は受けなかった可能性、アマ族と出会い大きく影響を受けた可能性、先住民はいなくてアマ族が沼島の住民の起源である可能性です。
これらの中で近年沼島で選択されているのは、先住民がアマ族と出会い多大な影響を受けたとする説です。この説をもとに解説をしていきます。

 いざなぎといざなみの語源として、海の状態である凪と波とする説があります。
 ここで紹介した神話は前半と後半に分けて、考えていきます。
 まず、前半部分ですが、いざなぎといざなみは、何かしらの棒状の道具で、何か液体をまぜ「おのころ島」を造ります。
いろいろな人の話や文献によると、この動作についておおまかに2つの説があります。ひとつは、製塩の様子の描写とする説で、もうひとつは、なんらかの儀式の描写とする説です。どちらも知れば知るほど正しいように思えてきます。人々が生きていく上で「塩」は大変重要です。なんらかの儀式が製塩作業を模したものと考えれば、どちらでも構わないのかもしれません。また、天の浮橋という言葉が出てきます。この「橋」という言葉は「梯」(「はしご」の「はし」)や「箸」(食事の「はし」)などと同音語で、国内各地いろいろな場所で、それぞれ祭祀などの儀式で大切なものとされているようです。
 ところで「おのころ島」ですが、淤能碁呂島とも自凝島とも表記します。沼島では自凝島の方を使用することが多いです。この表記には「自ず(おのず)から凝り(こり)固まった島」という意味があり、神話の光景にも合っていると思います。

 最後に、後半部分を考えていきます。この後半部分は性教育の要素が強いと思います。
沼島には、「いざなぎ」と「いざなみ」をあらわす岩があり、それぞれ「上立神岩」、「下立神岩」とよばれています。上立神岩はそり立ち、下立神岩は穴のある形状をしていました。(下立神岩については昭和9年にくずれてしまってます。)この形はそれぞれ男性器、女性器を現しているとも考えられます。いざなぎといざなみが、性器を合わせることで水蛭子が生まれます。
 沼島では、上立神岩はいざなぎであり、天の御柱でもあります。また、沼島をくるっと回るとき、上空から見て時計回りを女まわり、反対を男まわりと言います。
水蛭子が乗せられたヨシの船は、アマ族の船と考えることもできます。沼島には八尋殿(やひろどの)とされる平バエという磯もあり、また、その他にも神話にまつわるスポットが数多くあります。

訂正とお詫び

八尋殿の読み方について、広く一般的な読み方は「やひろどの」です。このページでも「やひろどの」と表記しておりました。「八尋」とは「大きな」という意味で、大きな建物をさす言葉として八尋殿(やひろどの)といいます。しかし、調べていくと、古事記のイザナギとイザナミが建てた八尋殿は「やひろでん」と読むそうです。勉強不足でした。お詫びして訂正いたします。2021年7月沼島観光案内所